PF-JPA

知的財産国家戦略への歩み(その1)

平成10年弁理士会総会決議から
自民党知財議連創立まで
 

Kato Asamichi
日本弁理士政治連盟
筆頭副会長 加 藤 朝 道


はじめに
 知財戦略は、いよいよ知的財産推進計画の実現へ向けて検討委員会の立上げを迎えようとしている。その中で知財高裁はなお(検討中)との報告が9月早々内閣府よりあった。一方、知財をめぐる最近の様相に対し、遺憾ながら根拠もなく「知財バブル」とか「知財ブーム」とかの声をあげている者も一部はいる。我々が目指そうとしたものは何か、そして我国が社会が真に必要としているものは何か、この機会に今一度原点に立ち戻って考えてみたい。

1.弁理士法等の改正に関する基本方針(22項目)
 田中正治理事会の平成10年3月総会決議第9号議案
 弁理士法等の改正については、次の事項を基本方針とし、これに基づき特許庁等と協議を進める。
 1.弁理士の業務に関する規定を、実態を踏まえ、特許庁又は通商産業大臣に対する事項に限らず、外国を含め、広義の工業所有権における知的創造サイクル全般に関わる事項とするよう改める。
   以下、計22項目
 (理由)経済活動のグローバル化、規制緩和等の社会環境の下で、多様化する社会的ニーズに適格に対応した弁理士制度を確立するため。

 以上のとおり、弁理士制度の改正に関し、知的財産権全般において知的創造サイクル全般への一貫関与を制度的に担保することは、永年の懸案であったが、平成9年度末、いよいよ弁理士法改正への具体的審議が、当時の荒井長官の英断で特許庁により取上げられることがはっきりした時点で、弁理士の総意を弁理士会総会決議によって確認したものが上記の第9号議案である。
 このように明確な意思表明が、総会決議をもって行われたことは、その後の規制緩和と構造改革の流れの中で、司法改革から知財国家戦略への流れの起点を成した点で、画期的な歴史的意義を与えられるべきものである。
 やや抽象的ではあるが、その言わんとする所は、十分尽くされており、立派な決議である。改めて当時の田中理事会とこれを支えた各委員会、各会派担当者、その他活発に議論に参加された弁理士各位の努力に敬意を表したい。

2.特許庁独立行政法人化の動きと、自民党知的財産制度に関する議員連盟(知財議連)の創立
 平成10年12月10日、梶山静六代議士を最高顧問とし、発起人代表与謝野馨通産大臣、甘利明労働大臣、太田誠一総務庁長官、伊佐山健志特許庁長官等の御臨席をいただいて自民党知財議連が衆議院議員75名、参議院議員16名の計91名で発足した。役員は会長与謝野馨、会長代理保岡興治、副会長高村正彦、白川勝彦、谷垣禎一、太田誠一、久世公堯、中曽根弘文、幹事長甘利明、事務局長佐藤剛男という堂々たる陣容であった。
 これは、弁政連と弁理士会が積み上げてきた知財に関心の深い国会議員との地道な接触と提言が基礎となって実現したものである。古谷史旺弁政連会長が堂々と挨拶した姿が、弁理士会副会長として出席した筆者の脳裏に焼き付けられている。(弁政連フォーラム第73号平成10年12月号参照)
 これにより、政治の力の知財への結集が図られることとなり、いよいよ弁理士制度改正は、政府なかんずく工業所有権審議会・特許庁の具体的な政策課題として取り上げられるに至った。
 実は、それに先立って、弁理士会と弁政連が知財に関する政治の流れの中で歴史的に重要な役割を果たしていることを忘れてはならない。田中理事会の全面的支援の下、渡辺望稔副会長は古谷弁政連会長と共に、当時の行政改革の流れの中で特許庁が独立行政法人化の最大のターゲットにされていることを察知し、特許庁の役割と特許制度、工業所有権制度の国家的重要性について100人を越す関連議員全員に説得に回ったのである。特許庁とは商標などの登録事務を行っている単なる行政機関との認識が大多数の国会議員の共通認識であった。そこへ特許制度の現代産業社会での存在意義と審査審判という独立官庁による準司法的手続による専門的かつ公正な独占権付与手続が、いかに重要な柱であるかを、日夜訴え続けた。この時の古谷、渡辺両人の活躍は、ついに政治を動かすことに繋がり、特許庁はかろうじて5年後の見直しリストの中に収まったのである。
 当時、行政改革の対象たる各省庁は、この点に関し政治に一切口出しすべからずとの政府方針が貫徹しており、特許庁は荒井長官を初め動くことが出来ない状況に置かれていたのである。このとき、知財関係者、関連団体で積極的に動いたのは弁理士会、弁政連のみと言っても過言ではなかった。
 知財を社会の中心に据えるべしとの我々の考え方はまさに正鵠を得ていたのである。よって聞く耳を持つ先進的な代議士諸先生方からは、何故もっと早く言ってこなかったのかとお叱りを受けたと聞いている。
 高橋是清が明治の初期から32年までかかって特許制度商標制度を我国近代化の柱として樹立し、他の予算を削ってまで特許局を創設したこと、明治32年と言えば同時に工業所有権保護のためのパリ同盟条約に加盟すると共に、治外法権解消の条件の一つにこの工業所有権保護制度の確立が含まれていたことを想起されたい。産業の国際競争力の確保には知財制度の確立が枢要をなすのである。
 このようにして、行政改革の流れの中で、特許庁の独立行政法人化という日本の知財制度を左右する重大な問題があることに、ついに政治の目が注がれるようになった。これが契機となり動因となって、知財議員連盟の創立へと、さらには、知財国家戦略にまで至ったのである。知財議連の創立総会では小野晋也代議士から、知的財産を国家戦略として位置付けることが重要との提言もされている。
 知財国家戦略まで到達するには、その間さらに多大の難関があった。政治の世界から見れば弁理士は当時3000人強程度の弱小グループに過ぎず、票もなく金もなく、政治的な発言力といえば零に等しいものであった。それにも拘わらず有力政治家が耳を傾けてくれたのは、まさに国のあり方を憂える志一つによるものであった。
 我々はその総力を挙げ出せる知恵をしぼって、活動して来たのである。以下、次号に期待されたい。



以上

この記事は弁政連フォーラム第130号(平成15年9月25日)に掲載したのものです。
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