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最高顧問退任のご挨拶
  

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日本弁理士政治連盟
特別顧問 古 谷 史 旺


 日頃、日本弁理士政治連盟の活動に格別のご理解とご協力を賜り、衷心より感謝申し上げます。
 さて、私は渡辺望稔前会長時代の3年間、微力ではありますが会長をお支えする役を担ってきました。
 森哲也新会長の誕生を機に最高顧問の役を退き、野にあって日本弁理士政治連盟を支えたいと願っておりましたが、その希望は退けられ、特別顧問の役を仰せつかってしまいました。

 振り返ってみれば、平成8年度〜10年度の会長時代、弁理士会の会長は、平成8年度が稲木次之先生、平成9年度が田中正治先生、平成10年度が幸田全弘先生であり、それぞれ思い出に残る出来事がありましたし、平成11年度〜13年度の最高顧問時代、弁理士法の抜本的改正の問題、司法制度改革への対応の問題、侵害訴訟代理権の問題、知的財産政略会議への対応の問題、隣接法律専門資格との業際の問題等々が矢継ぎ早に起こり、正に激動の時代でありました。
1)大正10年施行の弁理士法を、実に80年ぶりに抜本的に改正できたのは、それまでの間にご努力頂いた先輩諸兄のお陰でもあることは確かですが、平成8年度の弁理士会会長であった稲木次之先生が私を伴って長官室を訪ね、荒井寿光特許庁長官に対し、独特の言い回しで改正の必要性を訴えられたのが端緒となったことは間違いありません。事実を明らかにしておくのも私の務めと心得、敢えて書き記させて頂きます。
   特許庁は、荒井長官の指示で「弁理士制度を考える部長(総務)懇談会」を立ち上げ、弁理士法改正が俄然実現性を帯びて行きました。

2)平成9年度の弁理士会会長であった田中正治先生の時に、特許庁の独立行政法人化(エイジェンシー)の問題が勃発しました。
   実質的に特許庁の指導監督下にある弁理士会、とりわけ弁理士制度は一体どうなるのか、身の毛がよだつ思いに駆られたことを今でも覚えております。
   それと同時に、日本産業の復興の鍵となるべき知的財産制度を支える特許庁を潰してなるものかという激しい憤りを覚えました。
   歴代の日本弁理士政治連盟会長経験者にお集まり頂きご相談申し上げたところ、「独立行政法人化」の単なる反対ではなく、それに勝る代案を持って反対すべきとの高い視座からの助言があり、田中会長を交えた会議を夜遅くまで行い、“行政改革において、特許権などの知的財産権の保護強化を国策を以て計ることの重要性に鑑み、特許庁を、独立行政法人化することなく、知的財産権庁へ発展させることを中長期的な視野に入れ、国家機関として、現今以上に、より強化するよう、要望する。”との要望書を携え、100名を超える国会議員に対し直接訴えて歩きました。
   特許庁は動くに動けない状況にありましたし、発明協会、知的財産協会を始めとする関連団体にも協力を要請しましたが、つれない返事が返ってくるだけでしたから、我々が頑張るより他なかったという事情もあります。
   田中会長と田中理事会の官房長官役であった渡辺望稔副会長と私の3人で、自由民主党政務調査会副会長であった保岡興治衆議院議員を訪ねた折り、「知的財産権庁(省)」構想の他に、司法制度改革の必要性をも訴えました。その後、保岡興治議員の口利きで、自民党の司法制度調査会の会合に、弁理士会として初めて参加させて頂く機会を得ました。
   それまで、弁理士会は、通商産業省(経済産業省)との関係で、商工関係一辺倒であり、司法関係へのアプローチ等考えも及ばないことでした。
   それが今や、経済産業省、法務省、最高裁、科学技術庁、文化庁、大蔵省といったあらゆる官庁との折衝が当然のように行われておりますから、感慨も一塩であります。
   その先鞭をつけたのは、田中正治会長であります。文化の異なる領域に踏み込む勇気と決断と器の大きさを感じました。

3)幸田全弘氏が弁理士会会長の時に、特質すべき大きな問題が2点ありました。その一つは、弁理士会として初めて国会の法務委員会に参考人招致を受けて知的財産権に関する裁判のあり方についてプレゼンを行ったことです。
   そこでは、多くの国会議員から質問されることもあった訳ですが、実に見事な演説と答弁をして見せました。“弁理士会、ここにあり”を強く印象づけた一幕であったと思っております。
   その二つ目は、様々な紆余曲折はあったにせよ、旧態依然とした弁理士法の抜本的改正を80年ぶりに成し遂げたことです。別に煽てるつもりはありませんが、幸田全弘氏が会長でなかったなら、弁理士法の改正は頓挫していたでありましょう。

4)最後に、渡辺望稔氏のことに触れさせて頂きます。
   私が渡辺氏と仕事を一緒することとなったのは、特許庁の独立行政法人化が表面化した時からでした。
   渡辺氏は田中理事会の官房長官役でしたから、理事会を纏める仕事があった筈なのに、当該年度の後半は殆ど私と行動を共にしてくれていました。それを禁ぜず自由にさせた田中会長には頭の下がる思いですが、渡辺氏の発想の豊かさと視座の高さは、それは凄いものがあります。
   行財政改革が声高に叫ばれ、国民の意識がそちらに囚われている最中、残された改革に司法のあることをズバッと言ってのける感覚と、先見性と洞察力、それに様々な局面での構想力は、流石と唸らせるものがあります。
   IT基本法第19条に、「知的財産」の文言を入れさせ、初めて法律用語とさせたのは渡辺氏ですし、「知的財産戦略会議」の実質的提唱者も渡辺氏であります。
   幸田全弘氏と並び立つ器である渡辺望稔氏を弁理士会の会長に推す動きがあるのか無いのか知りませんが、この激動の時代を、行きつ戻りつではなく、真っ直ぐ牽引できるのは、渡辺望稔氏だけであろうと思います。
   弁理士会会長待望論が湧き上がることを祈りつつ、最高顧問退任のご挨拶といたします。


  

この記事は弁政連フォーラム第117号(平成14年8月25日)に掲載したのものです。
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