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弁政連活動の歴史を振り返る!



  

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日本弁理士政治連盟
会長 古 谷 史 旺

1)日本弁理士政治連盟の誕生
日本弁理士政治連盟(弁政連)は、昭和49年11月、東京日比谷の松本楼において、弁理士会の斡旋決議により設立総会を開き、初代の会長(一期2年)に現弁政連副会長の福田伸一氏の祖父である福田信行氏(故人)が就任された。副会長には浜香三氏(故人)、寺田正氏(故人)、それに、現弁政連副会長の杉本勝徳氏の尊父であられる杉本巌氏(故人)が就任された。当時の弁政連は任意加入で、380名での発足となった。しかし、翌年の1月には武藤嘉文自民党商工部会長との懇談会、3月には国会議員9名との懇談会を開き、「特許法等を一部改正する法律案」に対する一部修正を働き掛けている。
また、PCT批准に伴う弁理士法改正、特許管理士の国家資格化問題などに対応した。

2)特許管理士の国家資格化阻止へ向けた活動
  衆議院議員の総選挙で菅直人氏が初当選
弁政連の第2代会長に寺田正氏(故人)が就任され、昭和51年〜56年の三期6年を務められた。
この頃の弁理士会の会員数が1800余名、弁政連の会員数は530余名であり、弁理士法違反が目立った特許管理士の国家資格化阻止へ向けた活動に、エネルギーの大半が費やされていた様子が記録等から窺い知れる。
特許管理士の団体である特許管理士協会は豊沢豊夫氏(故人)が創設した任意団体であるが、弁理士を“医者”に喩えれば、特許管理士は“看護師”に当たると尤もらしい理屈を展開し、当時の科学技術庁に再三にわたって国家資格認定を働き掛けていた。しかしながら、弁理士の専権事項への違反が後を絶たず、その対策に頭を痛めていた。
昭和55年5月の衆議院議員の総選挙では、我々も応援した菅直人氏が初当選を果たされた。

3)特許印紙の発売場所の増加と券種の増加、それに弁理士法改正を積極推進
弁政連の第3代会長に佐々木功氏が就任され、昭和57年〜60年の二期4年を務められた。ときの特許庁長官は若杉和夫氏であった。
昭和59年4月、第101回国会で「特許特別会計法案」が審議され、国会を通過した。このことにより、特許庁に対する出願手数料等の支払いが「収入印紙」から「特許印紙」へ変更された。ところが、特許印紙の発売場所が集配局に限定され、かつ、券種の少なさで不便を余儀なくされたため、一般郵便局での取り扱いと券種増加を、当時の大蔵省・郵政省・国税庁に要請し実現させた。
また、弁政連の強い働き掛けにより、国会審議の場において「弁理士法改正の問題」が次々と質疑されるに至った。

4)弁政連会員増強月刊の創設、国会議員と弁理士との懇親会を毎年開催
弁政連の第4代会長に牛木理一氏が就任され、昭和61年〜62年の一期2年を務められた。牛木理一氏は著名な学者であり、特許法改正問題、売上税に関する要望等を与野党の国会議員に対し幅広く働き掛けた。昭和62年3月には、赤坂溜池全日空ホテルにて「弁理士と国会議員との懇親会」、翌年の3月には、同じく全日空ホテルにて「弁理士と国会議員との懇親会」を弁理士会と共催し、与野党の多くの国会議員と弁理士を含め、総勢300名を超える参加で盛大に挙行された。
また、弁政連会員増強月刊を設ける等して努力した結果、会員数が700名を超えた。

5)特許出願が紙出願から電子出願(ペーパーレス)へ移行
〜経済的弱者救済のため柔軟な対応を図るよう、猛烈な運動を展開〜
弁政連の第5代会長に奥山尚男氏が就任され、昭和63年〜64年の一期2年を務められた。現日本弁理士会会長の奥山尚一氏の尊父であられる。当時の副会長は6名で、不肖古谷はそのうちの一人であった。西の暴れん坊と名高かった亀井弘勝氏(故人)とは、互いに認め合う中だっただけに、その早過ぎる死が悔やまれる。
特許出願の紙出願から電子出願(ペーパーレス)への移行は、パソコンの著しい普及を考えれば、それは時代の流れであり抗し難いことであろう。しかし、当時の電子出願対応機種(パソコン)は800余万円の投資が必要とされ、極めて高額な時代であった。電子出願に対応できない出願人は、“データエントリー料”を支払わなければならない。
電子出願(ペーパーレス)が時代の要請であるにせよ、環境激変に対応できない経済的弱者が特許出願の意欲を失わないよう、“データエントリー料”の一定期間猶予を与えるべきとの政治的な大キャンペーンを展開した。ところが、我々の願いに反し、“弁政連は電子出願(ペーパーレス)に反対している”と歪曲喧伝され、実に後味の悪い結果をもたらした。

6)弁政連の西日本支部、中部支部が発足、サービスマーク登録制度導入のための
  商標法の一部改正に関し、要望書を提出

弁政連の第6代会長に磯野道造氏が就任され、平成2年〜3年の一期2年を務められた。 弁政連の幅広い情報収集と速やかな情報発信のため、西日本支部と中部支部をそれぞれ発足させた。西日本支部長には森本義弘氏、中部支部長には伊藤毅氏(故人)が就任された。
平成3年3月、サービスマーク登録制度導入のための商標法の一部改正に関し、審議促進の要望書を関係する国会議員に配布し請願した。同年同月、東京全日空ホテルにて、弁政連設立15周年の講演会、国会議員との懇親会を開催した。また、平成4年3月、キャピトル東急ホテルにて、弁理士と国会議員との懇親会を弁理士会と共催した。

7)原則加入制度の導入が承認される
  毎月発行の弁政連フォーラムが創刊される   
弁政連の第7代会長に鈴木正次氏が就任され、平成4年〜7年の二期4年を務められた。 弁政連現副会長の鈴木一永氏の尊父であられる。また、平成6〜7年の二期目に、不肖古谷も副会長に加わった。
平成4年の弁理士総数が3529名、弁政連加入会員が831名であった。平成5年1月に行われた弁理士会の臨時総会(山川政樹会長)で、政治信条等の理由から不加入の意思表示がない限り、弁理士は全員が弁政連の加入扱いとすることが決議された。これにより、弁政連の加入会員は3093名を数えるに至った。
しかしながら、不加入者が400名を超えたことは、全くもって理解に苦しむ。弁理士制度、知的財産制度は、事情を最も良く知る弁理士が働き掛けなければ、制度を利用する国民のための真の改革・改善は望むべくもない。我々弁政連は、政治信条に偏らず全方位の外交を行い、弁理士制度、知的財産制度に深い理解と協力をお願いできる政党・国会議員に対し、分け隔てなく政治活動を行っている。活動の成果は、弁政連に加入していると否とに拘わらず弁理士全員が等しく享受される。加入しないこと、会費を納めないことに、心は痛まないのであろうか?
後でも触れるが、80年ぶりとなった弁理士法の抜本的改正、著作権の契約代理、特定不正競争防止法の代理、輸出入の差し止め代理、外国出願の標榜代理、侵害訴訟の共同代理等々、枚挙に暇のない活動成果は、全弁理士が等しく享受されている。
弁政連の機関誌は、「弁政連ニュース」が年1回発行され、活動の成果を報告しているが、刻々と変わる政治状況を的確にお伝えするため、「弁政連フォ−ラム」を毎月発行することにした。

8)弁理士法改正を特許庁長官(荒井寿光氏)に申し入れる
弁政連の第8代会長に不肖古谷史旺が就任し、平成8年〜10年の一期半3年を務めさせて頂いた。
平成8年9月、稲木次之弁理士会会長と古谷弁政連会長とで、荒井寿光特許庁長官を訪問し、弁理士法改正の早期実現を正式に申し入れた。また、同年11月、菅直人前厚生大臣、佐藤信二通産大臣、白川勝彦自治大臣を相次いで訪問し、弁理士法改正の早期実現を強く申し入れた。さらに、平成9年1月、石原伸晃通産政務次官、武部勤衆議院商工委員長、尾見幸次自民党政調副会長、中山成彬自民党商工会長、甘利明前商工委員長を相次いで訪問し、弁理士法改正の早期実現を要請した。
平成9年3月、弁理士会の「弁理士法改正についてのアンケート」実施に協力、会員に理解と協力を訴える。

9)特許庁の独立行政法人化(エイジェンシー)が急浮上、阻止に奔走する
平成9年10月、特許庁の独立行政法人化(エイジェンシー)が急浮上した。これは行財政改革の議論が盛んだった頃、自民党の重鎮であった武藤嘉文(故人)衆議院議員がイギリスの例を引き合いに言い出したのが発端で、橋本内閣が採り上げた。
当時の荒井特許庁長官から完全阻止に協力して欲しい旨の要請があった。荒井特許庁長官と田中正治弁理士会会長の理解を得て、古谷弁政連会長が経産省の村田成二大臣官房長に会って経産省の真意を質した。経産省は、これからの産業政策に特許庁は重要な役割を担うから手放せない、との認識で、独立行政法人化(エイジェンシー)を望んでいないことが確認できた。
それからは、衆議院と参議院の150名に及ぶ国会議員に対し、弁政連の総力を挙げて独立行政法人化(エイジェンシー)に反対する旨の大キャンペーンを展開した。
印象的だったのは、宮沢喜一元総理大臣にお会いした時だった。“特許庁は審判機能を有するから国家機関でなければならない。”と極めて明快な認識を示して頂いた。
各方面への必死な働き掛けが功を奏し、独立行政法人化(エイジェンシー)を何とか阻止することに成功した。ときを置かずして荒井特許庁長官が長官室で慰労会を開いて下さった。もし、特許庁が独立行政法人(エイジェンシー)という半官半民にされた場合、特許庁の監督下に置かれている弁理士制度は、国家資格を維持できるか不透明であった。ホッと胸を撫で下ろす思いであった。

10)特許裁判所と知的財産権省の創設を要望
平成9年10月、政府の行政改革会議会長代理の小里総務庁長官に対し、各省庁に散らばっている知的財産部門を、特許庁を中核として一極に集中させる「知的財産権省」の創設を要望した。また、平成10年1月、自民党司法制度調査会の保岡興治会長に対し、米国のCAFCに類する「特許裁判所」を創設し、知的財産制度で立国する我が国の姿勢を内外に示すべきことを要望した。
同様のことを自民党の知的財産政策委員会に要望し、平成10年5月に同委員会の総意として採択された。また、平成10年6月、自民党の司法制度調査会の総会で特許裁判所の創設を含む「報告書」が採択された。

11)弁理士制度100周年の記念切手が発売される
    自民党に「知的財産制度に関する議員連盟」が発足
     民主党に「知的財産戦略小委員会」が発足

平成10年10月、記念切手発行の要望が弁理士会を含め50団体から出されていたが、当時の郵政政務次官佐藤剛男衆議院議員への強い働き掛けが功を奏し、大ジャンプをして弁理士制度100周年の記念切手の発売が実現した。
また、同年12月、自民党所属の衆議院議員と参議院議員91名の賛同を得て、「知的財産制度に関する議員連盟」が発足し、会長に与謝野薫通産大臣、会長代理に保岡興治衆議院議員(前)、幹事長に甘利明労働大臣、最高顧問に梶山静六衆議院議員(故人)が就任された。さらに、平成11年2月、当時の民主党商工部会長、大畠章弘衆議院議員に対し、民主党内に「知的財産権問題を検討する小委員会」を設立するよう強く要請した。それにより、同年6月に「知的財産戦略小委員会」が発足し、大畠章弘衆議院議員が会長に就任された。

12)80年振りとなる弁理士法の改正案が成立
平成11年4月、幸田全弘弁理士会会長が衆議院法務委員会「司法制度改革審議会設置法案」の件で、参考人として意見陳述した。このようなことは弁理士会の歴史上でも例がないことであった。同年5月、弁理士と国会議員との懇親会を開催し、会員131名、国会議員115名が参加した。壇上で古谷弁政連会長は、弁理士法改正の必要性を強く訴えた。同年8月、古谷弁政連会長他が与謝野通産大臣に面会し、弁理士の侵害訴訟代理権の必要性を力説した。
同年9月、弁政連の第9代会長に渡辺望稔氏が就任し、平成11年〜13年の一期半3年を務められた。
平成12年2月以降、弁理士法改正に関する議員省庁廻りを頻繁に行い、弁理士法改正法案協力の要請を行った。3月31日に参議院本会議、同年4月に衆議院本会議で大正10年法以来の大改正と言われた弁理士法改正法案が、原案通りに可決成立した。知的財産侵害訴訟の代理は積み残しとなった。

13)自民党の司法制度調査会に「司法制度改革について」の要望書を提出
平成12年12月、保岡前法務大臣に面会し、「司法制度改革について」の要望書を提出した。知的財産権に対する弁理士への侵害訴訟代理権の付与と、米国のCAFCに倣ったシンボリックな統一司法裁判所たる「特許裁判所」を創設することである。続いて、高村正彦法務大臣と面会し、同様の要望事項を説明した。

14)特定侵害訴訟代理に関する「弁理士法の一部を改正する法律」が成立
平成14年2月、衆議院第一,第二議員会館、参議院議員会館の176名に及ぶ知的財産関係議員に対し、弁理士法の一部を改正する法律案推進の陳情に赴いた。
平成14年4月、弁理士の特定侵害訴訟代理に関する「弁理士法の一部を改正する法律」が成立した。
弁政連の第10代会長に森哲也氏が就任し、平成14年〜16年の一期半3年を務められた。
平成14年6月、弁理士会と弁政連共催の「弁理士法改正祝賀会」を開催し、超党派の国会議員の方々をお招きし、盛会のうちに終了させた。
平成14年9月、森山真弓法務大臣を訪ね、「知的財産基本法」の策定に当たって要望書を提出した。同年11月、知的財産基本法案に対する付帯決議が成立、成立に携わった関係議員に対する御礼の挨拶回りを行った。

15)弁政連の働き掛けにより「知的財産基本法」が成立
我が国には、特許法、実用新案法、意匠法、商標法のほかに、不正競争防止法、著作権法、種苗法等々の知的財産関係法がある。これらを束ねる憲法として機能する「知的財産基本法」は、弁理士の業務を拡大する時の根拠となり得るし、特許庁、文科省、財務省、農水省、総務省等に分限管轄されている知的財産を一括管理する「知的財産権省」創設が容易となることが期待される。
  
16)自民党に「弁理士制度推進議連」が発足、憲法に知的財産条項を設けるよう「要望書」を提出
弁政連の第11代会長に加藤朝道氏が就任し、平成17年〜18年の一期2年を務められた。
平成17年5月、自民党に「弁理士制度の改革推進及び地方展開に関する議員連盟(弁理士制度推進議連)」の臨時総会が開催され、中川秀直衆議院議員が会長に選出された。
平成17年7月、自民党の新憲法起草委員会(森喜朗会長)に対し、知的財産に関する条項を憲法に入れるべく「要望書」を提出した。

17)「弁理士法の一部を改正する法律案」が成立、弁理士試験合格者の登録前研修が義務化
弁政連の第12代会長に牛木護氏が就任し、平成19年〜20年の一期2年を務められた。
平成19年6月、弁理士法の一部を改正する法律案が成立し、弁理士試験合格者の登録前研修が義務化した。このことと併せて弁理士の登録後研修も義務化された。これにより、弁理士の資質が向上し、制度を利用する国民の信頼に応え得る。
弁政連の会員数は7000名を超えたが、会費の納入率が15%前後という由々しき状況は変わらない。

18)自民党に対し「知的財産の喫緊課題」と題した意見書を提出
弁政連の第13代会長に10年ぶりの返り咲きで不肖古谷史旺が就任し、平成21年〜23年の一期半3年を務めさせて頂いた。
平成21年6月、自民党の「弁理士制度推進議員連盟」総会を開催して頂き、「知的財産の喫緊課題」と題した意見書を提出した。(内容)@特許庁と裁判所のダブルトラック、A中国によるITセキュリティ製品への強制認証制度の阻止、B地球温暖化防止対策を特許法の改正に盛り込むべき。
民主党の「知的財産制度改革推進議員連盟」総会を開催して頂き、自民党に対すると同様の意見書を提出した。

19)「地球温暖化防止対策に関する提言」を提出、「我々の要望(3項目)」要望書を提出、
   民主党に「弁理士制度の改革推進に関する議員連盟」が発足

平成21年10月、菅直人内閣副総理大臣、直嶋正行経産大臣、小沢鋭仁環境大臣、大畠章弘議員(知財議連会長)と個別に会談し、「地球温暖化防止対策に関する提言」を提出した。(内容)@研究開発・技術開発促進、A世界に知的財産権包囲網構築、B技術の世界標準化を順次ステップアップして行く戦略が重要と説明。
平成22年4月、古川元久内閣府副大臣と会談し、「我々の要望(3項目)」要望書を提出した。(内容)@弁理士試験合格者大幅増員の見直し、A知的財産推進計画2010の「特許パック料金制度」の反対、B外国法事務弁護士の法人設立容認法案の反対。
平成22年5月、民主党「弁理士制度の改革推進に関する議員連盟」の設立総会が開催され、鹿野道彦農水大臣が会長に選出された。

この記事は弁政連フォーラム第231号(平成24年5月25日)に掲載したのものです。
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