PF-JPA




これで良いのかこれからの資格制度
ー雑感ー

 
k_kojima   
日本弁理士政治連盟
副会長 小島 高城郎
 
 

1.はじめに
世は、将来への不安材料も多いことから極端にいうと全体主義的な動向を好む風潮にあるとも言えなくもない。即ち、個々がそれぞれの事柄を冷静に検証せずしてムードにより一方向へどーっと雪崩を打って傾倒するようでは、何事も危険極まりないと感ずる。歴史等を全く理解していない一部の若者がムードで行動することも問題であるが、そもそも”進むも一緒、止まるも一緒”という国民性にも問題がある。無論、これらとは正反対に「総論賛成、各論反対」ではないが、何事も反対することに意義を見いだす人も少なくない。
しかしながら、上記いずれにも偏することなく、緻密な分析を行いつつも他方では大局的な見地から物事を見つめている方もいなくはない。特に、政治関係においては、政策が絡むが故に、常にこのようにバランス良く思考することは困難を伴うようであるが、しかし、そうであれば尚のこと、当事者(改革・運用に直接携わる者)でない一般人は、冷静にして、客観的な見地から検証し、その是とするところを大いに主張すべきと考える。例えば、ここで述べようとする制度等についても、果たしてその方向が日本という国の現状に合致し正当であると言えるのか否か、すなわち既得権を問答無用の処断にて害していないか、特に明治の文明開化以降多く行われてきた外国の法律や制度を単に導入せんとしてないか、現在の「改革」を当然として正当化するが故に論理において自己矛盾を犯していないか等々の検討である。
2.急激な弁理士試験合格者増の弊害
(イ)ここ2〜3年の合格率アップには、目を見張るものがある。具体的数字を挙げると、平成11年度は、4700人の受験者に対し211人で、4.5%、平成12年度は、5166人の受験者に対し255人で実に4.9%であった。「まさか5%の合格はないよネ!」(否定的な意味)との世間の噂も現実味を帯びて来たようである。驚異的な数字である。知的創造立国を求める日本であれば弁理士を増員することは、一応正しいといえよう。しかし、代理人のみを増やしてもことの解決にはならない。現在弁理士会が努力しているように弁理士の存在は無論のこと、知的所有権(知的財産権)の存在や活用等を知らしめることこそ重要と感ずる。また、問題は、その「増加方法」にある。すなわち、規制緩和、そして自己責任の原則の下に競争原理を正面から採用することはまず正当化できるが、改革を急ぐあまり、(司法試験の場合も同様であろう)これまでに誕生した有資格者の不平等感を払拭できるか、あるいは合格すれば同じ資格ではあるが、その資格の価値という意味における既得権を害していないか等である。分かり易くいうと、現在の日本の弁護士や弁理士という資格に対する国民的イメージと、石を投げれば当たるといわれる程多い米国の弁護士のような状態になれば、苦労や努力をした現在の資格者の地位をも危うくする危険性も存在するからである。特に、「働きながら」や「一旦社会へ出た後」受験し、現在ある程度の年齢となっている方々の場合、たとえ実力者であっても時として激しい競争原理に対処できない場合も存在しよう。
そこで、合格者増加方法における提案とは、「あるべき姿や方向には原則的に異論はない」が、「急激な増員」が上記不平等感や既得権の侵害等を生ずるので、これらを排除すべく緩やかに社会状況(EX:不景気故、逃げ道や駆け込みによる受験生が多いのでマイナス要因を考慮した受験者数)等を考慮した対処をお願いしたいということである。実際に受験指導に当たられている方々の意見にても、「合格者の中には基本的ないし本質的なことを理解しないまま合格している人も多い」とのことである。何故このような憂いの声(意見)が多く聞かれるかは、上記の受験生の実体にあるようである。つまり、不景気等に起因し試験に十分な知識のない駆け込み受験生を除外した実質の受験生数は、当然に減少するので勢い高い合格率となってしまうということで、結果として質の高い弁理士を目指すところ質の低下を惹起してしまう可能性がある。
問題は、既にスタートしているが、従前の合格率3%前後の人達も同様に「義務研修」及び「効果確認」等が必要なのであろうか。ある方に言わせれば、「所定の受験科目をクリアーすることによって、当然に同系列の著作権法や不正競争防止法等も理解できるし、また理解能力を有していると判断されていると捉えて良いはずだ」と・・・。然りである。また、次期改正の侵害訴訟代理は、訴訟技術の問題もあり上記とは少々ニュアンスも相違するが、審決等取消訴訟における代理権が認められ、実際に代理人として活動している現実に鑑みれば、これも上記同様の見地より「研修・効果確認」は不要と考える。ましてや「効果確認」でなく「試験」という表現であれば「国家試験後の再度の試験となること」「試験主体が何人かー主体によっては国家試験になる」等種々の問題へ派生する。但し、上述の訴訟技術の問題もあるので「研修」(義務ではない)は大いに行うべしと考える。侵害訴訟を代理しない者、したくない者は、この能力担保措置を強制される所以はないからである。
(ロ)上述の如く急激で且つ増員という結果的数字を目標に置くだけの急激な合格者産出は、その手段において間違っており、ひいては予期しない結果を惹起する可能性もあるということである。正しいリーズナブルな手段で、時機に適した運用がなされれば、その結果として増加した有資格者内で、正々堂々と競争原理の下で己れの信ずるところを発揮したいものである。尚、資格取得後の自己研鑽は、弁理士という仕事から来る宿命と考える。
(ハ)近年の日本の主たる制度は、外国から導入されたものが殆どであると言っても過言ではないが、弁理士制度や我々に最も密接な弁護士制度もアメリカナイズされず、我が日本の国土と人口に合った資格者数を保持すべく努力して頂きたい。古めかしい語であるこの「アメリカナイズ」は、実は脈々と生き続けており、度々耳にする以下の外国人の言葉にも表われている。・・・「日本人は、アメリカの方ばかりを見ている」、「アメリカのやっていることは、結局正しいと日本は判断する」etc.
日本独自の個性を出しつつも、グローバルスタンダードで検討し、対処すべきであろう。
(ニ)地方での有資格者不足(過疎化)現象対策足りうるか。特別な対策を採用しない限り、否と考える。なぜならば、都会における業務の方が多岐にわたり且つ刺激的であるから、個人差もあろうが仕事(実益)という観点から都会を選択する者が圧倒的に多いと諸条件により推測できるからである。従って、何ら政策もなく自然発生的に地方へ弁理士が分散する場合は、都会部を一つの桶とすると、それに水をどんどん注ぐといつかは溢れる。そして桶の外側である地方へ流れて行くが、このような場合のみと考える。これでよいのか。都心部は、米国同様、石を投げれば弁理士や弁護士に当たる状態となるであろう。そこで今度は、聞かれた方もおられるでしょうが、米国人自身の意見(最も多いLawyerについて問うたもの)を挙げておきたい。「Lawyerは嫌い」「Lawyerは余り好きではない」と・・・。何故との問いに対し、「しつっこい!」「大勢いて、すぐ仕事にする」等と回答した。無論、評価している人もいるが、このような人が多いことは、Lawyerが多過ぎることに基づくと考える。
そこで、有資格者が最初から地方へ行くには、徐々に試行されつつあるが、弁理士、研究者、企業等のサポートセンターの設置(無論設置主体、予算等の困難な問題有)、TLOの推進、企業・研究所の誘致、ITの更なる活用等の対策を講ずることである。これが可能であれば、資格者の分散化は推進され、所期の目的はある程度達成されるであろう。不可能であれば、安易な増員は好ましくない(この件も弁護士についても同様)。
3.法科大学院(ロースクール)設置問題
法科大学院は言うまでもなく司法試験に直結するので、我々弁理士には無関係に思われがちであるが、将来的に問題が起こりかねない故、ここで触れておきたい。
(1)法科大学院の入学者選抜において、特に多様性の確保を旨とすることが宣言されている。ここに「多様性」とは、法学部以外の学部、即ち経済学、理数系、医学系等の他の分野を学んだ者を幅広く受け入れることを意味する。この構想は素晴らしい理想を掲げており、例えば「医学知識を有する弁護士」が誕生するとすれば、それなりに重宝され意義深いものがあるといえよう。しかし、実際は、医師(研究者含む)としての道を志した者が、今後益々大量生産される弁護士(法曹の一つ)へ進むであろうか。医学の世界では生活困難というような特別の状況にならない限り殆ど期待できない事と思われる。しかし、理数系の場合は、弁理士を初め弁護士の下位概念的資格が与えられるのみ(残念乍ら法体系上このようになっている)であるので、将来的には、このルートを進む人が増加すると思われる。(ちなみに現在最も就職等で不利といわれている文学系や、経済学系も増加するであろう)
そうであれば、理数系にとって形式的には弁理士試験制度は、不要ということになる。
(2)しかし、問題は、このルートで誕生した弁護士が、知的所有権なかんずく特許関係の処理が的確になし得るかである。自らの訴訟経験からみても、工業所有権法(特に、特許法等四法及び条約)を専門性の高い国家試験の受験という形で、徹底的に学んだ経験なくして、代理人足り得ないということである。法律系の弁理士についてもいえること故、理数系の弁理士については”ましてや”である。
米国の例をあくまで参考的に挙げると、資格制度については多くの方がご存知であろうから省略するが、数ヶ所(勤務時代のものを含めると大小かなりの数になる)の特許弁護士事務所とお付き合いして、「技術には強いが専門法に弱い方が非常に多い」ということである。例えば、受験科目に条約がないからといって、現在、外国出願の殆どを占めるPCT(特許協力条約)についての理解がない。やはり、その道の専門家たらんとすれば、必須と思われる科目は、ある程度の厳しさを以て受験を課すべきである。
いずれにしても、法科大学院の設置自体には、賛成であるが、(単に外国から導入することは楽ではあろうが)米国型でも欧州型でもなく、フレキシブルに検討された個性ある日本型のものであってほしい。
(3)町の受験機関が法科大学院に?・・という意見があるが、頗る疑問である。
なぜならば、質の低下や不平等感等を払拭するためにも、また上記の我が弁理士界と無縁ではないことから、公共性、公益性の高い機関(大学,公的研究機関etc.)に設立を認可すべきと考える。現在どのような指導を行い、何を目標として業務を行っているか等を考慮すればその理由は述べるまでもない。
4.司法制度改革審議会の最終意見書も既に提出され検討から実行への段階を迎えているが、以上の見地から、不平等感の無い改革や運用をお願いしたいところである。また、我々も骨抜きや軌道修正されることのないよう注視(ウオッチング)が必要である。

以 上


この記事は弁政連フォーラム第105号(平成13年8月25日)に掲載したのものです。

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