PF-JPA




知的財産基本法は国家百年の大計

Tetsuya Mori
日本弁理士政治連盟
会長 森 哲也


ご挨拶
 会員の皆様、 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は、国会が再び弁理士制度改革の意思を表明した附帯決議を伴って、知的財産基本法が可決されました。まことにご同慶の至りであります。弁政連は、この法律と附帯決議の趣旨の実現に向かって活動致しますので、一層のご支援をお願い致します。なお、附帯決議については、日本弁理士会の正副会長会も、そのお立場で我々と努力を共にされました。このことについて、敬意を表しつつ、以下に年頭の所見を述べます。

知的財産基本法の意義
<国家百年の大計の戦略展開>
 この法律は、このデフレ不況下では、ややもすると景気対策手段と捉えられる向きもなくはありません。しかし、その本質は、「国家百年の大計」であると考えるべきであります。
 折しも1995年に成立したWTO体制は、グローバル市場に大きなパラダイムシフトを齎しました。つまり、物品(有体物)から人間の精神活動の所産であるサービスと知的財産(無体物)への価値評価の転換であります。
 わが日本はどうか。ある程度の規制改革が進んで市場は「完全市場モデル」に近づき、何でも有りの価格競争場裡となっていないでしょうか。先行投資者・創造的な先行参入者の利益はほんの一瞬しか得られなくなっているような気がします。こうなると、投資に見合う利益の確保がおぼつかなくなるので、市場から先行投資者・創造的な先行参入者が消えてゆきます。その結果、市場は利益の確保ができないデフレ状態で終息したともいえるのです。これは、殆ど物理現象として理解出来ます。そうです、これはニュートン物理学にいう「系の予定調和」なのです。
 ですから、自由市場には、先行投資者・創造的な先行参入者の利益が確保できる制度、市場に活性化のポテンシャリティ(落差)を設ける手段が原理的に必要なのです。一定の期間、一定の範囲で利益が独占できる制度、それが知的財産権であります。自由主義経済社会に生きる以上は、この制度は必要であり、グローバル化しつつある市場では、この制度は不滅であると考えられます。そして、グローバル市場であればこそ、この制度は国家戦略として用いられ、天然資源・エネルギーの乏しい日本であればこそ、この制度は一億総国民の頭脳を資源化するために用いられなければなりません。こんなことから、知的財産基本法の成立は誠に時宜を得ていると考えられるのです。これによって、多くの官署と民間セクターに分散していた知財政策マターが、内閣府の知的財産戦略本部に収斂され、国家意思として戦略的に展開できるようになりました。

国家戦略に必要な必要な二つの視点
<国際的視点と国内制度基盤整備の視点>

 この戦略展開においては、重要な視点が二つあることを念頭に置かなければなりません。一つはいうまでもないことですが国際的視点であり、あと一つは国内的制度基盤整備の視点であります。

(1)国際的視点について
 この視点で重要なことは、わが国の地勢学的・歴史的位置付けの認識に立って、アジアを中心に欧米を見ることです。
 プロパテント戦略は、カーター政権末期から始まりレーガン政権で強化展開され、合わせて市場主義のグローバリズムを世界に発信して現在のアメリカの繁栄に結びついています。このように、自由経済社会での知的財産権の機能はアメリカで既に実証されています。
 しかし、わが国を取り巻くのはアジア諸国でありますので、アジア諸国抜きで(純粋な市場主義グローバリズムを進める)アメリカ一辺倒の戦略を採るわけにわゆきません。彼の国ですら、NAFTAやFTAAを用いて自国の足元を固めながら戦略展開をしてきたのですから。
 そこで、わが国がしなければならないことは何であろうかと考えるのです。それは、FTAに知的財産権の戦略を組み込んでアジア諸国と国益を分かち合い、共に繁栄する道を選ぶことでしょう。この場合、単に「アジア」という実体の定かでない地域概念ではなく、地勢学的にも歴史的にも膨張・収縮を繰り返し、いままた膨張しようとしているロシアと中国のユーラシア大陸中心部パワーに対する周辺諸国を意識するべきであると考えます。これは、中国の軍拡運動とWTO加盟を契機にしての市場進出、そして、ロシアの米国への秋波とユーラシア特許制度の創設という現実を見ればすぐ判ります。学習院大学教授の故坂本多加雄教授は、明確にユーラシア大陸のランドパワー(land power) に対抗する周辺諸国のシーパワー(sea power) 地域が、わが国にとってのアジアであるとしておられます。その意味のアジアは、わが国の経済的影響を色濃く受けているし、また、いま問題になっている生物多様性条約の対象である生物資源( ゲノム資源) などで、わが国と利害が一致する部分を多く共有しています。知的財産制度を通じて、わが国がアジア経済の盟主となるよう戦略が立てられるべきであります。

(2)国内制度基盤整備の視点について
 アジア経済の盟主となるには、アメリカ、ヨーロッパ、そして、これからはユーラシア大陸のランドパワーに対しても、国際競争力のある国内制度基盤の整備が必要であります。
 それには、次の諸点が肝要であります。
@知財裁判の迅速化;これには、裁判官の専門化と給源の確保、更には判例の統一化に向けて、巡回管轄を含む知財専門裁判所の創設が必要であります。現在、東京高裁の専属管轄化(知財高裁)が進められようとしていますが、これは理想に向かっての第一歩であり、速やかな実現が望まれます。
A権利化の迅速化・アジア特許制度の創設を目指し特許庁を政策庁に;権利化の迅速化の問題は、欧米と比較しても判りますように、審査官・審判官の大幅な増員対策をすることが基本に据えられなければなりません。そして、日本・韓国・台湾・アセアン・APECを構成基盤とするアジア特許制度の創設を目指すべきです。そのためには、特許庁を、政策庁として格上げするべきであると考えます。
B弁理士制度の抜本的改革( 弁理士の弁護士化)・知財関係の弁護士の増強( 弁護士の弁理士化) ;弁理士制度の抜本的改革は、要するに、いま我々弁理士が向かおうとしている訴訟代理人資格を、「弁護士が受任する事件」という受任事件の限定がなく、知財の一部という限定もない完全・円満な制度にすることであります。弁護士の弁理士化は、弁護士法の「弁護士は、当然、弁理士・・の事務を行なうことができる。」(第 3条 2項)の「弁理士」の部分を削除すると共に、弁理士法の、弁護士が弁理士登録することができる制度に、弁理士研修を登録要件として加えることで足ります。こうすることによって、弁理士と弁護士とは、対等な専門家として、時には協力し時には切磋琢磨し、よりよいサービスを国民に提供できるようになります。
  弁理士の限定付き訴訟代理権では知財訴訟代理人は増えたことならず、また、高度に専門化している知財分野の事務を弁護士が「当然」できるという制度は、非現実的でありましょう。知財代理人に関する国際競争力の観点から、これらの問題は解決が急がれます。
C特許対象の拡大(再生医療等の医療特許・ビジネスモデル特許の拡大); 1331年、エドワード三世がフランダース人ジョン・ケンプに織物業の特許状を与え(発明特許制度ノ起源及発達・清瀬一郎)、それまでにウールの輸出のみの産業であった英国に製造業を齎しました。ケンプの特許は、いわば輸入職人技術に対して与えられたのでありました。このことを考えると、例えば、ビジネスモデル関係も範囲を拡げて、街での商売の仕方などに特許を与えることも考えてよいのではないでしょうか。知的財産基本法が、「発見」も、産業上の利用可能性があれば、「知的創造活動によって生み出されるもの」として射程に入れている(第2条第1項)のは、その方向での特許対象範囲の拡大の道もつけていると考えられます。
  また、ライフサイエンス絡みで医療特許( 再生医療) が問題になっております。これこそ、倫理規範を早急に策定し、特許法32条の「公の秩序善良の風俗又は公衆の衛生」という法規範にのみに則って、解禁する方向の決断をすることが戦略上肝要であると考えます。医療現場での実施、その他価格の問題は、裁定制度の運用や制度的な改善を施すなどの工夫で解決がつくはずです。
D(刑務・矯正の現場や地域での)社会教育と、( 低学年からの) 学校教育現場での知的創造教育の徹底;国民の一人ひとりが知的財産を持ち、これをその立場なりに産業に結び付ける精神を醸成し、「一億総知的創造者」化を目指すことです。
E日本版ITCに知財審査官・審判官を(模倣品・特許侵害品流入対策)
  外観から判り易いといわれている商標・意匠であっても類似の判断は難しいのです。ましてや、特許権侵害に関しては、見本を分解・分析してみないことには全く判断がつきません。したがって、この判断をする税関には、権限と能力を有する知財審査官・審判官が配置された準司法機関、日本版ITC(国際貿易委員会)が設置されるべきです。

喫緊の問題として
<世界一高い審査請求料で国際競争を戦えるか>

知的財産基本法第14条には、発明の権利化手続の迅速化を目指して審査体制の整備その他の施策を講ずることが規定されています。
 ご案内のとおり、審査請求期間が7年から 3年に短縮されたことが主な原因で、審査請求される事件が急増滞貨しました。そこで、特許庁は、審査請求料を現行の2.5倍から3倍に値上げして審査請求の数を減らし、効率的に審査を行なうようにと計画を進めています。これで、わが国は世界一高い特許出願関係費用となります。明らかなアンチパテント・ 逆噴射施策です。
 つまり、先行技術調査をせずに出願され、拒絶理由通知を出しても応答がない事件が、審査請求される全体の約二割あるとしとした上で、審査のエネルギーの無駄を避けるためにこれらを減らし、よい発明を早く権利化する高循環を達成し、もつて産業競争力強化に尽す、というのがその論理です。
しかし、これは、残り八割の健全な出願の発明(研究開発の成果)に大増税の先行という理不尽に他なりません。卑近な例ですが、当職のクライアントである大手メーカーの知財部長さん達は、口を揃えて、予算の関係上出願を減らします、といっておられました。これが現場の声なのです。
発明は、出願→審査請求→審査→特許という経時的過程を踏むものであることから、出願人においては、権利化手続のコストを先ず時間軸で捉えます。その結果、当該年度の出願件数まで抑制することになります。これが権利化手続の障害ではないというのであれば、詭弁としかいいようがないと思います。
いま、知的財産基本法の理念と理論が空転したまま、実際の施策はあらぬ方向に走り出そうとしているようです。世界一高い審査請求料で、知的財産国家戦略は展開できません。特に、アジア諸国との関係で日本は知財の盟主たるの資格を失うでしょう。水は低きに流れるの譬えのとおり、彼らは雪崩をうって北米その他の特許制度に向かい、日本の特許制度を相手にしなくなるのが目に見えるようです。
 特許庁は、中小企業向けの審査請求料減免や、特許料・出願料の値下げなどで、特許権者となった後も含めたトータルのコストで負担増にならないようにするとしております。
 これには、特許権者の支払う特許料と出願人の支払う審査請求料との比率が3:1となっていて不公平であるから、1:1に近づける必要があると理由がついています。
しかし、中小企業に関しては、運用上その範囲(概念)や適用基準が硬直的にならざるを得ないので、そこから外れる多くの企業や、ベンチャービジネスなどはうまく保護できないという問題が起こります。
また、特許料は、権利維持が必要であれば制度の真の受益者である権利者は払うべきものであり、行政コストとは無関係な政策料金です(「Eigentum verpflichtet.所有は義務づける」というローマ法以来確立された法原理によって、独占者と非独占者との公平の正義として支持される。) 。従って、これと、制度に参入しようとしている者が行政コストとして最小限度で支払うべき出願料、及び審査請求料とを混同して同じ比率にするのが公平であるとするのは、あらぬところで公平論を唱えるものであって、筋の通らない施策です。
そして、外国、特にアジアなど途上諸国からの出願人にはどう対応するのか。国際関係では内外人平等の原則を遵守されなければならないのですが。
 以上要するに、この政策は全くのパッチワークであり、必ず綻びが来ると予想されますので、いまの内に見直しをするべきであると考えます。
 本来審査は、先行技術調査と実体審査の二段階で行なわれるはずなので、弁政連は、先行技術調査請求前置制度(ドイツやヨーロッパ特許庁で採用)などを提案していますが、特許庁は、「二度手間になる」とか理解のできない理由をいうばかりで、何故か検討する気配すら見せておりません。他にも、先行技術開示制度の強化、審査請求期間の延長をする制度の採用、それこそ行政指導をしたりするなど、その他種々の対策が考えられるでしょう。
 産業構造審議会の特許制度小委員会でも、審査請求料の値上げは所与のものであったとしか思えない議論が行なわれたようです。そこでは、僅かな異論はあったものの、特許制度の本質的なことからはかけ離れたコスト論議が趨勢を占めていたようです。知財の中枢を担う特許庁に、国家百年の大計を誤って頂きたくありません。


        
以上

この記事は弁政連フォーラム第122号(平成15年1月25日)に掲載したのものです。
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