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日本特許行政の失われた10年







  

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日本弁理士政治連盟
副会長 井 内 龍 二



1.日本特許行政の失われた10年

(1)審査請求期間を7年から一挙に3年に短縮する政策ミスから全ては始まった。
 1999年、審査請求期間を7年から3年に短縮する法案が可決成立し、2001年10月1日以降の出願に適用されることが決まった。
 この時から、日本における特許行政の失われた10年が始まることが決定的となった。
 この法案が国会を通過する時点で、今後、日本における特許行政が如何に大変な事態に陥るか、真剣に考えていた庁職員はいなかったのかもしれない。
 少しだけでも真剣に考えていれば、優秀な官僚達のことだから、気付かなかったはずはなく、気付いていれば大変な事態になることを予見してその時点で何らかの手段が講じられていたはずである。あるいは気付いても、その手段をこの時点で講ずる責任は自分には無いと考えたのかもしれない。
 大変な事態とは、少し考えれば誰でもわかる極めて簡単なことで、審査請求期間が3年となった時点から3年が経過するとこれらの出願に関しての審査請求が本格的に始まり、これと並行して審査請求期間が7年時代の出願の審査請求は4年間は重なって残り、この4年間は、完全に通常の倍の審査請求件数となってしまうということである。庁のそれまでの年間審査処理能力は20万件程度であったが、この4年間だけは一挙に年間審査処理能力を40万件程度まで引き上げない限り、審査未処理案件がどんどん溜まっていってしまうということである。実際、2008年頃には審査未処理案件はピークを迎え、88万件にまで達してしまった。
 特許行政の中で、一番時間と金を要するのが優秀な審査官の育成である。優秀な審査官の育成は一朝一夕にはゆかず、審査官補を経た長期間の研修・オンジョブトレーニングを必要とする。この4年間だけ、都合よく審査官を2倍に増やせるはずなどマジックでも使わない限りできるわけがなく、しかもこの当時は、小泉内閣で行政改革が叫ばれ、国家公務員定数は削減を余儀なくされていた時代である。審査官だけ特別扱いをして、一挙に何千人も増員して2倍に増やせるはずなどありえない時代である。
 よくもまあ馬鹿げた政策を馬鹿げた時期に行ったものだと、今なら全ての庁職員は考えているはずである。その当時でも、心ある庁職員であれば、無責任な政策ミスに怒りにも似た感情を抱いていた筈である。
 しかし特許庁はこの政策の失敗は表向きには一切認めず、2002年に知的財産基本法が成立した後は、高い理念の知財立国を表向き高らかに標榜・推進する一方、実際の審査に関連する実務的政策では、この80万件の審査の滞貨を削減すべく、知財立国に逆行する政策を次々と打ち出さざるを得なくなるのである。
 以下に述べる庁の知財立国逆行政策が効を奏し、それまで耐えに耐えていた企業も、さすがにリーマン・ショックには勝てず、その後、特許出願件数の激減、多数の出願の取下げを招き、知財立国は遠い夢のまた夢となっていくのである。

(2)審査請求件数を押さえ込むために審査請求料を一挙に2倍に値上げ
 審査請求料を現行の約10万円から2倍に引き上げ、約20万円にすれば、うまくいくと審査請求件数を2分の1に削減できるかもしれない、と考え、2003年、審査請求料を一挙に2倍に引き上げる法案を通過させる暴挙に特許庁は出るのである。
 この頃は、企業も未だリーマン・ショックを経験しておらず、この政策はその当時は全くといっていいほど機能せず、恐れていた88万件の審査の滞貨が現実のものとなってしまうのである。
 しかし、この政策は中小企業にはまともに効いてしまい、審査請求件数の減少というよりも、中小企業の特許出願自体に対する意欲を削ぐこととなり、中小企業の特許出願件数自体を激減させてしまい、中小企業にとっての知財立国の夢を遠ざけることとなるのである。
 その当時、値上げ効果が限定的であった大企業に対しては、無駄な特許出願を極力控えるようにと、特許出願自体の抑制を企業知財部などに直接働きかける行政指導を始めるのである(知財立国への逆行)。

(3)審査未処理件数を減少させるために、出願を取り下げれば、
   一旦納付した審査請求料であってもこれを一部返還する制度を運用
 過誤でも無い限り、一旦納付させた料金は返還などしたことがなかった特許庁が、何と一度収めさせた審査請求料を半額返還するから、出願を取り下げて(実質既になした審査請求の取り下げをして)欲しいと企業に頼み出したのである。審査件数の滞貨が極まった頃の2007年に始めた運用である。この制度を利用した出願の取下げが、リーマン・ショック後激増し、企業によっては取下げ率が約50%に達してしまった企業もあるようである。それまでは考えられなかった事態である。特許取得の意欲を激減させる、まさしく知財立国に逆行する政策となった。

(4)審査請求料の支払いを猶予し、その間に審査請求料を支払わなければ
   みなし取下げとする制度の運用
 上記(3)の政策では飽き足らず、さらに特許庁は、これも今まででは考えられなかった審査請求後、審査請求料の支払いの1年間の猶予を認め、その猶予期間内に審査請求料を納めなければ、出願を取り下げたとみなす、という驚くべき運用を始めるのである。審査未処理件数の削減策ここに極まれりの感があった。この運用を利用して実質的審査請求の取り下げを行った企業は、リーマン・ショックの影響を受け、実に80%の取下げ率を実施した企業もあったようである。逆噴射の政策を連発させながら、知財立国はどのようにしたら実現されると考えていたのであろうか。

(5)出願単一性の厳格運用により審査負担を軽減し、審査の促進を図る
 特許庁は、審査の促進を図るため、さらなる審査負担の軽減策を考えていた。これが出願単一性の不必要なまでの厳格運用政策である。この単一性に関する法案の改正は2003年に成立させており、最近になって、単一性に関する拒絶理由が激増しているようである。これは簡単に言うと、出願の単一性の要件を満たしている請求項のみを審査の対象とし、単一性を満たしていない請求項については審査をしていませんよ、という運用である。例えば、このような拒絶理由がくる。「請求項20項のうち、請求項1,2以外は単一性の要件を満たしていないから、請求項1,2以外の請求項については、新規性、進歩性を有するか否かの判断は行っていない。これらの請求項についても審査を希望する場合には、分割出願をおすすめします。」
 こういった審査をすることにより、審査の負担を一挙に、場合によっては10分の1にまで軽減できるのである。ある弁理士の見解によれば、審査をしていない請求項分の審査請求料を返還しないのであれば、これは立派な詐欺罪が成立するということである。
 最近の審査では、このような拒絶理由が80%程度出され、大幅な審査負担の軽減が図られているようである。高額な審査請求料を支払わされてその一部しか審査をしてもらえない企業の立場を特許庁はどのように考えているのであろうか。

(6)知的財産高等裁判所のアマチュア的判決に伴う特許出願意欲の減退
 これは、裁判所のことなので、特許行政とは言い難いが、密接な関連があるので記載しておく。
 知的財産高等裁判所の特許に関する多くの判決が、技術の進歩というものを理解しない裁判官により行われたため、裁判は出願から10年も経ってから提起されることが多いにもかかわらず、出願当時の技術水準には理解が及ばず、つい現在の技術水準で判断をしてしまい、ほとんどの特許を進歩性なしと判断して無効としてしまった。いわゆる後知恵的判断を繰り返したため、特許を取得しても、権利行使することを不可能に近いものにしてしまい、特許を取得する意味をなくさせてしまった。これは出願自体を控える傾向を助長した。
 また、仮に特許が有効と認められ、権利行使できたとしても、認められる賠償額は米国の場合の約10分の1程度であり、特許権の価値を極めて低いものとしてしまった。
 これら知的財産高等裁判所の判断が失われた10年を助長してしまった。
 
(7)
弁理士試験制度の改悪による合格レベルの低減、国際競争力の低下
 弁理士試験制度を改悪して弁理士の国際競争力を低下させてしまった。論文式の試験科目は、実に改正前の8科目から実質3科目まで激減されてしまい、弁理士の国際的活躍が期待される時代に、国際条約科目までなくさせてしまった。規制改革論者による参入規制撤廃という、資格試験には無関係の論理がまかり通り、ただただ通りやすくするための改正が行われ、弁理士の素養として何が求められているかの本質を考慮することなく、時代錯誤も甚だしい試験制度にしてしまった。合格ラインを大幅に引き下げ、西日本に限って言えば、筆者が合格した頃の25年前の年間合格者10名から何と年間合格者300名と、約30倍の合格者数とした。野にあって知財立国を実現するために最も活躍させなければならない弁理士の存在を危うくし、弁理士は失われた10年に寄与させられることとなった。

2.失われた10年を如何にして取り戻すべきか

 日本特許行政の失われた10年は余りにも大きな損失を日本に齎した。この間、米国では特許出願件数は、13万件から40万件を越え、3倍に達している。中国に至っては、2万件余りから、何と40万件を越えるようになり、20倍近くに達してしまった。日本では43万件のピーク時から、昨年は33万件程度にまで落ち込み、10万件もの減少となっている。世界各国の出願件数が伸び続ける中、減少を続けているのはかつての世界一の特許大国日本だけである。これでは、知財立国などと標榜することさえ恥ずかしい現状と言えまいか。出願件数の延びは、そのまま国力の延びを反映させているようにも思える。
 資源に恵まれない日本は、沈滞した現状を打破するためには、知恵を出しあってグローバル時代に対処していくしか方法はなく、知財立国を何としても実現し、活力溢れる日本を取り戻さなくてはならない。
 その為には、特許庁は失われた特許行政の10年間を振り返り、政策ミスを素直に認め、謙虚に反省し、前向きに下記の政策を大胆に実行していかなければならない。下記の政策を着実に実行できたならば、知財立国の実現もそう遠くない未来となる。

(1)審査請求期間を即刻3年から5年に延長する
 そもそも審査請求するか、しないかを判断する期間として3年は短かすぎる。失われた特許行政の10年間を演出したのは、審査請求期間を7年から一挙に3年に短縮した政策ミスである。この政策ミスを解消できたならば、特許庁も知財立国のための本来の政策を打ち出すことができるようになる。現在、審査待ちの期間は一時期の3年以上から2年程度に短縮されてきてはいるが、特許庁が知財立国のために掲げた審査待ち期間ゼロには程遠い。現在の特許庁の年間審査処理能力は、かつての20万件から35万件まで引き上げられていると公表されているが、これも全く信用しないほうがよい数字である。この公表されている数字は、上記1(5)でも述べたとおり、極めていい加減な審査をすることを前提とした数字であるからである。いくら請求項の数が多くても丁寧に審査をした場合には、年間審査処理能力は、やはり20万件程度と見ておいた方がよい。最近の出願は量、質ともに高くなってきており、まともな審査をすれば、1件に要する時間は10年前の2,3倍になってきていると考えておくべきである。
 では、未だに滞貨として残っている35万件の処理をどうするか。
 それには、3年に短縮した審査請求期間を2年間だけ元に戻し、5年とするのである。
 そうすれば、5年とした出願の審査請求が本格化する前に2年間の審査請求の空白期間を作ることができる。この空白の2年間で滞貨として残っている35万件の処理を一挙に行い、審査待ち期間ゼロを実現することが可能となるのである。
 審査するものがなくなってくる以上、特許庁は今までとは手のひらを返したように、出願を増やすように企業に働きかけ、審査請求もできるだけ全件するように働きかけざるを得なくなる。
 これで、少しは特許業界も活性化されるであろうが、さらに下記の政策を大胆に実行してゆかなければ知財立国の実現は程遠い。

(2)値上げされた審査請求料を元に戻す(現行の半額とする)
 審査請求件数を押さえ込むために設定された約20万円の審査請求料は、大企業にとっても負担が大きく、このままでは、不景気にあって、大企業といえどもやはり審査請求件数を抑えざるを得ず、そうであれば、出願自体を押さえ込むことを考えるのが普通である。
 企業に出願する意欲を取り戻させるためには、やはり、審査請求料を値上げ前の額に戻すべきである。即ち、現行料金の半額とすべきである。
 それと同時に、全く特許出願をしなくなった中小企業を知財の場に復帰させるために、中小企業に対しては、現行の、年収証明、税理士の印鑑まで必要とする手間の掛かる減免制度ではなく、10年以上前から言い続けられている米国と同様の宣言するだけの極めて簡単な手続で済むスモールエンティティー制度を導入しなければならない時である。
 これらのことを実現すれば、不況下で冷え切った出願意欲もかなり回復するはずである。

(3)審査請求料の支払い猶予制度を廃止する
 この制度は、一旦行った審査請求を実質取り下げさせることを促進するための制度であり、審査請求が正常に行われるようになると不必要な制度であり、廃止する。

(4)出願の単一性の運用をPCT出願レベルに適正化し、分割出願の際の審査請求料は
   原則無料とする
 日本における現在の出願の単一性の判断は、規則までのレベルでは表向きPCTの規定を参照してPCTの規定に基づいて行うように装っている。しかしながら実際には、日本の審査基準をよく読むと、日本以外のどこの国よりも厳しい規定となっている。すなわち、日本で単一性を維持するためには審査経過でみつかった先行技術に対してまでも貢献・課題が同じ範囲でなければならず、審査により先行技術が見つかり、その先行技術に対する進歩性を出そうとして減縮補正を行うと、その他の請求項との関係では通常単一性を維持できなくなってしまう。
 PCT規則においても、欧州においても、米国においても、審査経過でみつかった先行技術に対してまでも、単一性が維持されるためには貢献・課題が同じ範囲でなければならないとするような規定にはなっていない。実際の最近の運用では、世界で飛び抜けて厳しい単一性の判断をしている。
 この厳しい運用は、審査待ち件数を減らすために、すなわち審査を促進させるために考え出されたものであり、適正なものではなく、分割出願の過度の負担を出願人に負わせるものである。これは運用であり、法律マターではないので、法改正を必要とせず、すぐにでも厳しすぎる運用を改めることが可能である。
 最近は、出願クレームの全ての権利化を図ろうとすると、3度、4度の分割出願を余儀なくされることも多い。そして、審査をしてもらうためにはその度に審査請求料を支払うことが要求される。元は一件の出願であり、最初に全てのクレーム分の審査請求料を支払っているのであるから、本来、分割出願のたびに3重、4重の審査請求料を支払うのはどう考えても不合理である。補正の場合と同様に、増加したクレーム分のみの支払いで済むようにすべきである。
 そのようにすれば、費用の点から分割を諦めていたものが、諦めることなく分割出願がどんどんなされ、特許出願件数の増大・活性化が図られることは間違いがない。

(5)知的財産高等裁判所を名実ともに専門裁判所とする
 知的財産高等裁判所の問題は突き詰めると、少々複雑で、根本的には知的財産高等裁判所の人事のあり方に行き着くと思われる。現在の知的財産高等裁判所の人事は何ら専門性・技術分野を考慮してまで行われておらず、人的人選は実質的には何ら通常の裁判所と変わるところがない。また、人事異動により知的財産高等裁判所へ新たに配置される裁判官も全く専門裁判官と言えるようなものではなく、知的財産権に関する専門的研修を終えた後に配置されるわけでもない。これでは一般の裁判所と何ら変るところがない。そういった赴任したての裁判官に裁判を担当させて判決文を書かせることも多いようである。
 この問題を解決するためには、知的財産高等裁判所における事件の技術分野毎の割合を分析し、この割合に合わせた技術職専門裁判官の育成が不可欠である。そして知的財産高等裁判所の裁判官の人事異動を、この割合の枠組みを守ったなかで行わなければならない。名実ともに知的財産高等裁判所とするためには技術職専門裁判官の育成、特別な枠組みでの人事異動が不可欠である。

(6)弁理士試験制度を根本的に見直し、国際競争力を有する弁理士制度とする
 国際的に活躍できる弁理士を育てるためには試験制度はどうあるべきか、これは少し考えれば簡単に答えが出ることである。
 まず、制度改悪により論文式試験科目から削除してしまった国際条約科目を復活させる。
 外国語を試験科目に加える。
 一気通貫の知財専門家とするためには、侵害裁判も単独で代理できなければならず、そのためには、論文式試験科目に民事訴訟法を加える。
 技術の専門家としての一面も確保するため、論文式選択必須試験科目に科学技術科目を加える。
 訳のわからない免除制度、持ち越し制度を廃止する。
 登録前実務研修制度を充実させ、研修に掛かる費用は国の負担とし、研修生には、給料を支給する。
 これら試験制度の改正を実現すれば、国際的に活躍できる弁理士を輩出できることは確実であり、知財立国の実現には必要不可欠である。

この記事は弁政連フォーラム第217号(平成23年2月25日)に掲載したのものです。
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